県大会出場をかけた試合の朝、子どもたちの声が少し堅い。
ふざけているようで、どこか落ち着かない。
アップの列に並ぶ足がいつもより速く動き、ボール回しの声も少しだけ大きい。
緊張を隠すみたいに、みんなよく喋る。
私はピッチ脇でメンバー表を見ながら、子どもたちの顔をもう一度確かめた。
拓巳。
今日は来ない。
それは急な欠席ではなかった。
ずいぶん前から、出欠管理アプリには欠席の表示がついていた。
この学年の指導を担当している申也は、それをずっと気にしているようだった。
「拓巳おらんのきついですね、県大会がかかった試合ですよ」
「そうやな」
「拓巳に聞いたら、妹のピアノの発表会やって言うんですよ」
「そうなんや」
申也は、県大会のかかった試合を休むなら、よほどの理由があるはずだと思っていたのだろう。
妹のピアノの発表会だと聞いたとき、申也はうまく言葉を返せなかった。
家庭の予定と言われればそれまでだと、自分に言い聞かせているようにも見えた。
それでも、飲み込みきれていないのは顔を見れば分かった。
「一応、拓巳には大事な試合やでって言ったんですよ」
申也はグラウンドを見たまま言った。
子どもたちは狭いスペースで鳥かごをしている。
笑っているのに、いつもより声だけが少し高い。
「変わらんかったやろ」
申也の苛立ちを受け止めるでも、流すでもない声になった。
私は椅子に座ったまま、ペットボトルの水をひと口飲んだ。
「はい、欠席のままでした」
拓巳は左利きの左サイドハーフだった。
エースではない。
チームの中心三人に入るかと言われたら、たぶん違う。
でも、チームで左利きはひとりだけだった。
いないと困る選手というのはいる。
拓巳はそういうひとりだった。
「しゃあないな」
私はメンバー表を折りたたんで、立ち上がった。
「そろそろ、行くぞ」
子どもたちは「よっしゃ」と声を上げて立ち上がった。
さっきまでのざわつきが、そこでひとつにまとまった。
試合が始まると、攻撃は右に寄った。
代わりに入った選手が悪いわけじゃない。
ただ、いつもの形にはならなかった。
あとひとつ届かなかった、と思える負け方だった。
試合を終え、子どもたちが荷物のほうへ戻っていく。
泣いている子はいない。
でも、朝みたいな声はもう出ていなかった。
申也はテントを片付けながら、ずっと黙っていた。
怒っているというより、飲み込めないものが顔に残っていた。
「やっぱり、きついですよ」
私は返事をしなかった。
「欠席することを責めてるんじゃないんです。家族の予定も大事やし」
そこでいったん言葉を切って、申也はグラウンドのほうを見た。
負けたあとのグラウンドは、さっきより広く見えた。
「でも、県大会かかった試合に来んって決めた時点で、そこまで大事な試合ではなかったんやなって」
畳んだ椅子と荷物を抱えて、私は車へ向かった。
申也もクーラーボックスを持ってついてきた。
「価値が違うんやろな」
「違いすぎますよ」
「誰かに頼んで、拓巳だけ連れて行ってもらうとかもできたはずやし」
「あのお母さんに、それは難しいんちゃうかな?」
申也はクーラーボックスを地面に置いて、強く息を吐いた。
感情は残ったまま、息だけが抜けていく。
「最近、こういうの増えてません?」
「増えたと思うか?」
私は椅子をひとつ車に積んだ。
試合が終わったあとの静寂に、ボールを蹴る音だけが響いていた。
「でも、減ってはないでしょ」
「減ってはないかな」
申也は黙った。
それで話は終わると思ったようだった。
でも、私はそのまま荷台に腰をかけた。
「低学年を見てたら、もっと分かるかもしれへんな」
申也が顔を上げた。
「低学年?」
「チームにおるというより、まだ習い事に通ってる感覚のほうが強いんやろな」
申也はすぐには返さなかった。
何か引っかかった顔のまま、グラウンドを見ていた。
「でも、それは低学年の話ですよね」
「低学年は分かりやすいってだけや」
私は小さく息を吐いた。
「長いことチームにおっても、感覚が変わらんままの人もおる。結局、チームより家の予定、自分とこの都合が先にくる」
申也は黙って聞いていた。
「仲間がおって、同じ目標に向かってるはずの場所でも、大事なところで個人が優先された。申也の苛立ちはそこやろ」
「……」
「休んだことそのものより、その試合の重さが同じやなかった。それが分かったから、しんどいんやろ」
申也はゆっくりと目を閉じ、何度か頷いた。
「確かに、拓巳の両親とは少し距離がありましたね」
「そやな」
「保護者たちの輪からも、少し距離を置いていましたし」
私はすぐには頷かなかった。
「別に無理に入らんでもえぇ。輪に入らんこと自体が悪いわけやない」
申也は口をつぐんだ。
言いすぎたと思ったようにも見えた。
「でも、今日みたいな日にそれが出ると、やっぱりきついです」
私は荷台の縁から腰を上げた。
そろそろ片づけも終わる。
「そやな。でも、それも含めてチームの実力やからな」
申也は小さく頷いた。
「同じチームにおっても、同じ方向見てるとは限らんのよ」
最後にバッグを放り込んで、手を伸ばしてドアを引き下ろす。
鈍い音のあと、また静かになった。
「昔より増えた、っていうより」
申也は黙って聞いていた。
「休まんことで成り立つ集団そのものが、減ってきたんやと思う」
申也は少し眉を寄せた。
「集団そのもの、ですか」
「昔は、多少しんどくても行くのが当たり前みたいな場所が、もっとあったやろ。学校も、部活も、地域も」
私は手のひらについた芝を軽く払った。
払っても、細い草は指に少し残ったままだった。
「でも今は違う。無理して頑張らんでいい、自分のペースを守ること。そのほうが自然や」
申也は小さく息を吐いた。
「だから、仲間がおって同じ目標に向かってるチームでも、大事なところで個人が優先されるってことですか?」
「そやな」
申也は足元を見たまま、小さく頷いた。
「そしたら難しいですね。変えられへん」
私は返事の代わりに、手についた芝をもう一度払った。
「昔みたいに、休むなって言うだけではもう無理なんやろな」
申也は顔を上げた。
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
「簡単な答えがあったら苦労せんわ」
申也は力なく笑い、視線を逸らした。
「でも、今の時代なりの伝え方はあるかもしれへん」
「どんな風にですか?」
「子どもの意思が尊重される時代なんやったら、子どもがどうしても行きたいと強く思うような場所にしたらえぇ」
申也は黙って聞いていた。
「休むな、合わせろ、だけではもう人は残らん。ここに来たい、この仲間とやりたい、負けたくないって、思えるようにせんと」
申也は小さく頷いた。
でも、今日の悔しさが消えた顔ではなかった。
「保護者も含めてやで。親の意思が一番、尊重されるからな」
「難しいですね……」
「超難問やで」
私はわざと難しい顔をしてみせた。
「だから、今日は負けたんや」
申也は長い息を吐いて、最後に一度だけ頷いた。
子どもが行きたいと思い、保護者も応援したいと思えるチームをどう作るのか。
途方もない宿題だけが残った。
申也は何も言わず、もう一度だけ小さく頷いた。
